五輪公式チャンネルが今日に合わせて制作した「羽生くんと震災の関わりのストーリー」
Double Olympic figure skating champion Yuzuru Hanyu was forced to flee his local ice rink when a devastating earthquake and tsunami hit Japan, seven years ago today. His story: pic.twitter.com/V7XPHTuDRd
— Olympic Channel (@olympicchannel) 2018年3月11日
彼も被災者なのに被災地に笑顔をと頑張る姿。震災を冒涜しないでほしい。そっとしておいてほしい。そして心穏やかに毎日が過ごせますように。羽生結弦くん。
きっと羽生くんがいなければ、私はこの数年3.11の日や東北の話をするとき以外に震災を意識することはなかった、或いはできなかったと思う。
当事者として辛かっただろうにも関わらず、リンクの上でもEXを通じ震災と向き合い続けてきた羽生選手を想う。
当事者として辛かっただろうにも関わらず、リンクの上でもEXを通じ震災と向き合い続けてきた羽生選手を想う。
今日で震災から7年か
7年経っても他の人より被災地を想うのは羽生くんのおかげと言っても過言ではないな
7年経っても他の人より被災地を想うのは羽生くんのおかげと言っても過言ではないな
被災地から離れたところで普通に7年過ごしてたらここまで3.11の事を考えてたかな。少なくとも私にとっては羽生さんが折に触れて震災や被災地の事を発信してくれた事で日常的に考えるようになった。東北のものを意識して買ったり継続的に募金をしたり。大仰に聞こえるかもしれないけどこれが事実。
羽生結弦 結弦くん。2011年の震災で被災して、練習リンクを途中までなくして…。いつも感動をありがとう、結弦くん。
7年前のきょうだったな。
仙台の大学に合格して、マンション探しに新幹線のチケット取ったのに震災で行けなくなった。
やっと仙台入りできたのが4月9日、入学式は3週間遅れ。余震が続く仙台の街で新生活を始めた娘。
羽生くんが仙台を離れアイスショーを回りながら練習していた頃なんだろうな。
仙台の大学に合格して、マンション探しに新幹線のチケット取ったのに震災で行けなくなった。
やっと仙台入りできたのが4月9日、入学式は3週間遅れ。余震が続く仙台の街で新生活を始めた娘。
羽生くんが仙台を離れアイスショーを回りながら練習していた頃なんだろうな。
何年たっても何十年たっても震災が終わらないことを羽生選手はわかっていた
だから五輪連覇し伝説の人になることがmustだと思ったんじゃないかと推測します
町も人も元通りになることはない
なかなか人口も増えない
それを知る伝説の人の発言や行動の影響力は大きい
偉い人にも辛い人にも届くはず
だから五輪連覇し伝説の人になることがmustだと思ったんじゃないかと推測します
町も人も元通りになることはない
なかなか人口も増えない
それを知る伝説の人の発言や行動の影響力は大きい
偉い人にも辛い人にも届くはず
東北の震災から7年。韓国では未だに東北の食品の輸入を制限しているという現実。まだまだ真の復興には至っていないのかなって思ってしまいますが、楽天イーグルス、羽生結弦選手、サンドイッチマンなど東北にゆかりのある皆さんも頑張っている。我々ももっともっと支援していきたい!
震災から7年。
あの日から7年か…
あの日から7年か…
羽生選手は多くの方を勇気づけた。
2012年から去年までの3月11日は、羽生さんはワールドを控えた状態で迎えてた。羽生さん自身も周りも年々状況が変わる中での3.11だったと思う。今年は震災の年以来、シーズンを終えた状態で迎えるあの日。部外者の私にしてみればあっという間の7年だったけど羽生さんにはどれだけ重い7年だっただろう
今日で震災から7年。当時の私より今の私の方が重く受け止める事が出来てるのは羽生さんの熱心な慈善活動のお陰だと思っています。