「努力するのも才能」佐藤信夫コーチの言葉
<仕事も育児も常に100%。中途半端ができないから努力し続けた>
1年目は変化を感じられず、焦るばかりでした。でも、諦めずに佐藤コーチを信じて練習を続けていたことで少しずつ状況が変わっていきました。
佐藤コーチに師事してから2年目で如実に成績が変化し始めたんです。自分でも「変わった」と思えるようになりました。
一番スランプに陥っていたときだったので、環境の変化が本当に大きな転機になりましたね。
私は自分にスケートの才能があると思ったことが正直ないのですが、「努力するのも才能」と佐藤コーチに言われて。その言葉が、スケートをする上でも、大学を卒業する上でも大きな支えになりました。
性格上、中途半端というのができない。常に100%で取り組んでしまうので、やるならやる、やらないならやらないというタイプなんです。
「もう選手としても長くはないだろう」
<成長を感じ、大学院進学を選択しスケートを続けるも、成績は下降し始める>
20歳の時に「ベテラン選手」と呼ばれたのですが、女子フィギュアスケーターの現役引退は大学卒業時の22歳前後が一般的です。
私は22歳だった大学4年の時に絶好調でした。まだまだやれると思い、大学院進学を決意し、勉強しながらスケート続ける道を選びました。
ところが、その向こう2年間がものすごく苦しくなってしまって。成績は下降し、ケガも増えていきました。ケガすると練習を休むことになり、その結果、筋力が衰え、次に練習しようと思うと体力的にも厳しくなっていきました。
過去の自分に追いつかず、ジレンマに陥っていきました。2009年、2010年は本当に苦しかったですね。
24歳を迎えた時、もうスケート人生は長くはないだろうと思っていました。どれが最後の試合になってもいいと思い臨んだ最後のシーズンでした。
「スケートしかやってこなかったあなたが働けるわけない」
<中野さんが大切にする価値観は安定感。引退後の道は自分で決めた>
スケート引退後の人生について考えた時、振付師や技術的なことを教えるコーチなど、色々な道はありました。
本当に迷ったのはプロスケーターですね。でも、いつまで滑れるかわかりません。あとは、解説者やタレントになったとしても、それがいつまでできるかわからないなどの不安が残りました。
私が大切にした価値観は「安心感」「安定感」だったので、正社員の道は絶対でした。長く働ける場所を考えた時、小さい頃からずっと好きなテレビの仕事をしてみたいと思っていたんです。
就職に関してはひとりで決めたのですが、「スケートしかやってこなかったあなたが働けるわけない」、家族や知人からは反対を受けました。でも、自分の道は自分で決めることは譲りたくありませんでした。
そして、スケートとは別のもう一つの夢だった「テレビ局に入りたい」という思いに従って、就職活動に臨みました。
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