長い間、フィギュアスケート日本男子を牽引してきた小塚崇彦選手が現役を退いた。この4月からはスケート界を離れ、トヨタ自動車の社員として新たな道を歩んでいる。幼少からスケート中心の生活を送ってきた小塚にとって、その決断が決して簡単なものではなかったことは想像に難くない。
苦しくても現役を続けたからこそ得られた思い
――以前、「引き際は、自分が本当に終わりと思った時」と話していましたが、その瞬間はいつ訪れましたか?
「全日本選手権(15年)のフリーが終わった時です。この全日本で終わりかな、となんとなく感じてはいました。演技が終わってポーズをとった瞬間にふわっと何かが抜けていく感じがあり、また本来なら悔しいと思わなければならないところで笑顔になっていました。その後に込み上げてくるものを感じた時に『これで終わりなんだな』と」
――2015年の全日本選手権、佐藤信夫コーチはこれで終わりだと感じていたのでしょうか?
「最後だという話はしていなかったのですが、信夫先生は感じていたと思います。
ソチ五輪代表選考後(13年)も現役を続けられたのは、やっぱり信夫先生の存在が大きかったと思います。あのまま終わっていたら、自分が続けてきたスケートを放り捨てたような感じになっていました。最初は、燃え尽き症候群になっていることに気づいてすらいなかったので、ソチ五輪の次のシーズン(2014/15)は本当に苦しかったです。でもやり切ったのは良いきっかけになりました。信夫先生が望んでいたのはそういうことなんだと思っています。シーズンが始まる前に『続けたら何かある』と言われた。その“何か”が、僕が今感じているこの思いなんだろうなって」
――引退後、スケートを教えるという選択肢はありませんでしたか?
「その道も考えたんですけど、滑るよりも他にいろんな経験ができると考えて決めたのが今の道です。スケートを辞めるか、辞める必要があるのか、すごく考えましたけど、それでもトヨタに入っていろいろ経験したいし、現役生活を終えて、違う世界に行った方がいいと判断しました。
これだけやってきたスケートを嫌いになることはないし、今後は何かしらの形で、ここまでお世話になったスケートの世界に恩返ししていきたいです。そういうことも含めて、今の進路が自分に必要な道だと信じています」
○プロフィール
1989年、名古屋生まれ。5歳からスケートを始める。2008/09シーズン、GPシリーズ・アメリカ大会で優勝。2010年のバンクーバー五輪に出場し、8位入賞。2010/11シーズンは、GPシリーズ・フランス大会で当時、世界歴代2位の得点で優勝し、全日本選手権で初優勝。世界選手権で銀メダルを獲得した。2016年3月に引退を発表。引退後は所属するトヨタ自動車で会社員として働く。
ソース
https://www.ei-publishing.co.jp/articles/detail/
あんなにこづも涙してたんだね
ありがとう今はそれしか言葉が浮かばない
最後の最後に、土日2日分も演技流してくれて嬉しかった
演技後のあいさつで、観客の拍手で涙が出たようだね
ファンへのあいさつのためにトヨタさんに無理言ってSOI出させてもらったって
本当にありがたい気持ちしかない
このスケーターを応援できて幸せだった
夢みたいに美しかった
ありがとうこづ
同じく…
あきらめが悪すぎて辛いわ
そういえば肉うp来ないね
優勝しちゃって肉コイコイw
ウララこの間GWは人沢山でウェイティングしてたよ
頭が〜
#いたい
#ぼーっと
#したい
#猫が
#いない
#はるうらら〜
#♪
小塚崇彦インスタグラム
https://www.instagram.com/p/
暑いもんねw
食べる方の氷でも滑る方の氷でも
てとこかw
ハワイはもしかすると結婚式も兼ねたハネムーン?
ホテルの公式ページみるとしっかりウェディング施設もあるし
というかプリンス系列w
とりあえずおめでとう
お幸せに!