アジア勢初の金メダル。トリノ五輪の女神に愛された荒川静香の“プライド”

１９３２年（昭７）レークプラシッド五輪に老松一吉、帯谷龍一が初出場して以降、日本勢は長い間、メダルに手が届かなかった。その歴史を打ち破ったのは近年。今シリーズは「五輪のメダリスト」として、既に第一線を退いた３人のメダリストを当時の担当記者が振り返る。第１回は、０６年トリノ五輪女子でアジア勢初の金メダルに輝いた荒川静香さん（３５）。

気づいた人はいないだろう。０６年２月のトリノ五輪。フィギュアスケート会場のパラベラ競技場に響いた、曲の「音量」の違いに。

日本スケート連盟の城田強化部長（当時）は現地の競技マネジャーにお願いしていた。日本選手が滑るときは音量を少し上げて欲しい、と。かなうかは賭けだった。だが「音を上げてくれた。音は最大効果。観客が音に吸い込まれる。（演技構成点の５項目の１つ）インタープリテーション（音楽の解釈）に響くの」。

荒川が最後のフリーで滑った曲は「トゥーランドット」。地元イタリアのオペラで、開会式でイタリアのテノール歌手パバロッティ氏が歌い上げていた。その音楽が大音量で伝わる。観客に響かないはずがなかった。場内に一体感が生まれた。完成した最高の演技が金メダルへと押し上げた。

フリー曲は年明けに変えたばかりだった。五輪直前の変更もまた賭け。きっかけは正月に本番リンクで行った日本代表の直前合宿だった。「音楽を流したとき『あ、トゥーランドットで滑りたい』と思ったんです。モロゾフ（コーチ）に話すと『いいんじゃないか』と。あっさり進みました」（荒川）。まるでトリノ五輪の女神が導いたとしか思えないほどの運命だった。

クールビューティーと称される素顔は「欲」が深い。それは勝利への欲ではなく自身に求める欲、いわば“プライド”。前年に世界女王となり、やめるか中途半端な心で臨んだ結果、９位に沈んだ０５年世界選手権後に一層強まった。拠点の米国に行く前から「早く帰りたい」と思う心が変わった。「帰りの飛行機に乗ってから気づいたけど、帰国が死ぬほどうれしくはないんですよね」。他人ではなく自分と闘う。そこに女神も好意を抱いたのだろう。

右かかとの痛みは１０年以上も続く悩みの種だった。それが…。トリノ入り前に寄ったフランス・グルノーブル。モロゾフの振り付けで合流した男子のジュベール（０７年世界王者）のくるぶしにあるパットに偶然、目が行った。「それを切ってもらって張ったら、痛みが和らいだんです。ジェラートをおごらないと」。今振り返れば本当に、トリノの女神に愛され、キスをされたとしか思えなかった。

そういえばジュベールには、おごったのだろうか。今更、それが気になった。（敬称略）

ソース

https://headlines.yahoo.co.jp/hl082353-nksports-spo